お坊さんか役者か
父が役者だったんです。今の仁左衛門さんのお祖父さん、十一代目仁左衛門の弟子でしたけれど、早くに亡くなった。私が13の時で、戦争でごちゃごちゃしている時代でした。私は体が弱かったので、お坊さんか役者、どっちが良いかっていう時に二代目河原崎権十郎さんが拾ってくださった。
ヘビースモーカー
二代目権十郎さんは煙草が大好きで、日に50本くらいは吸いました。吸い殻は火鉢に挿しておいて、退屈しのぎに燃す。楽屋はいつも煙っていましたよ。
権十郎さんがまだ若い頃、私が入門する前の話ですけれど、揚幕の中で煙草を吸っていて、「旦那、出ですよ」って言われてそのまんま出ちゃって…。舞台で踏み消そうとしたら廻り舞台の隙間に落っこちちゃったんですって。「火が出たらどうしよう」とハラハラしながらお芝居をした、なんてこともあったそうです。
慰問の舞台は…
戦争中は軍事工場の慰問に、ほうぼう歩きました。
その頃は、菊五郎劇団、吉右衛門劇団、そして十五代目市村羽左衛門率いる市村劇団というのがあった。「浅草の羽左衛門」と呼ばれた二代目権十郎さんは市村劇団にいて、一緒にまわっていました。
舞台はいわゆる学校の講堂にあるようなものです。狭ければ大道具さんが舞台の外側に足を建て、その上に所作台をのせて広くしました。
“着ぐるみ”が悪い
入門してからは、家の手伝いも色々とやりました。当時は、道も舗装されていなくてね。玄関の前も雨が降ると水たまりができてしまう。権十郎さんがレンガを拾ってきて、私がそれで水たまりを埋めるんです。
入門して間もなく、舞台袖で師匠が使う提灯をもっていたら燃えちゃったとか、子役からあがったばかりで、忠臣蔵、五段目のイノシシをやらされた時は、イノシシの着ぐるみが大人用で合わなくってね。前が見えなくて松の木にぶつかったり、客席に落ちたり…。失敗は沢山ありましたが、二代目権十郎さんには滅多に怒られませんでした。イノシシの時なんか「仕方がないよ。着ぐるみのほうが悪い」なんておっしゃって…。
こどもの頃からいたからか、二代目権十郎さんにはかわいがっていただきました。
ハチミツ入り
ところが二代目の次男、三代目権十郎さんにはよく怒られました。三代目さんは、十一代目市川團十郎さん(当代の父)が海老蔵時代、渋谷の東横ホールに朝から晩まで出ずっぱりでした。『渋谷の海老様』と呼ばれて大変な人気でしてね。うちは弟子が少ないから、この時は後見やってお茶汲みして…と、もう大変な忙しさでした。
三代目さんが忠臣蔵、五段目の定九郎をやった時のことです。口から滴り落ちた血が白い足を染める、あの名場面の血の色が薄いとおっしゃって…。血は弟子が拵えるのですが、一思案して、紅に蜂蜜を混ぜてみたら、粘りがあるし良い色も出て、三代目はご満悦でした。ところが、お風呂で洗っても、これがなかなか落ちないんです、色が浸みこんじゃって。その後で不破数右衛門役で出なきゃいけないので、ご機嫌は一転、ひどく怒られました。「蜂蜜入りの血」は一度きりでやめました。
ただどんなに怒られても師弟関係というのは不思議なもので、自分の師匠が褒められると嬉しいし、悪く言われるとおもしろくない。ずっと一緒にいますし、ラブレターの取り次ぎまでするから情が移るんですね。
弟子はいわば影。芯の役者を引き立てる役廻りなんです。
当代・権十郎さんは…
今の権十郎さんは、襲名が決まった時、「権一さん、継いでも良いかい」とおっしゃられて…。私は「よろしく」とお応えしました。三代目も今の権十郎さんも菊五郎劇団。舞台でしょっちゅうご一緒していましたから気心が知れています。今は私をとてもいたわってくれますよ。 |