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高木 秀樹(たかぎ ひでき)
高木 秀樹(たかぎ ひでき)

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『文楽手帖』角川ソフィア文庫 高木秀樹・著
初解説
1990年9月 奥州安達原

メッセージ
だいたい育ちが良くないのです。
親兄弟や親類と東京の下町の血筋で、身の廻りに映画や歌舞伎、そして落語・講談・浪花節といった演芸に博打・・・(おっと)、とにかく悪い物がいっぱいで、はやりの言葉で言えば「DNA」に芝居好きの素も組み込まれていたのでしょう。
一応『法学部』に在籍したものの、昭和六十年の團十郎襲名にぶつかったのが運のツキ。それまでも観てはいたものの「歌舞伎ってこんなに面白かったのか」と再認識して、学問はすっかり放棄し劇場通いの毎日。情けで卒業はさせてもらったものの、教授からは「方角を間違えて『邦楽部』にいっちゃったな」と、呆れられました。
最初に解説したのは、平成二年九月の国立劇場文楽公演。演目は『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』三段目の前半。その頃になると歌舞伎以上に文楽に凝り、ひょんなキッカケで解説を担当することになりました。
イヤホン解説も観客として聴いている頃は「な〜にこれくらい俺だって出来らあ」とタカをくくってましたが、これがとんでもない誤りで、いざやってみると内容があまりにも薄かったんです。おまけに三段目の後半は「小山観翁先生」の御担当。あまりのレベルの違いに愕然としました。
「このままの内容では、お客様に欠陥商品を売ることになる」。その危機感から、稽古日〜初日と徹夜の連続で書き直し録り直し、どうにか放送にこぎつけました。
早いもので、それから十年。お客様第一をモットーに奮励努力の毎日!
と言えば聞こえはいいのですが、とにかく手当たり次第に色々なものに接しました。歌舞伎・文楽は勿論のこと、能狂言に新派や舞踊、山田五十鈴や落語の桂米朝にも凝りました。米朝師匠は学者みたいな人で、噺のマクラに語る故事来歴がスゴイのです。中で古い大坂(おおざか)の事は「これは使える」とメモして持ち返り、同じ大坂を舞台にする文楽の解説で、どれだけ借用したかわかりません。
とまあ、半ば商売づくの嫌な寄席通いもしましたが、そのほか下手ながら十年続けている常磐津のお稽古も、プロの芸がいかに尊いかを知る機会になっております。

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