二代目吉田玉男襲名インタビュー ウェブ限定記事 第二弾!

 

劇場の放送インタビューではご紹介しきれなかった部分を、この記事でご覧いただけます。第二弾の今回は、《人形遣い》についてのお話です。なお、インタビューの聞き手は、解説員の高木秀樹です。



文楽のお稽古って?

――この襲名披露をきっかけに文楽を観はじめたという新たなファンの方がいらっしゃいますので、「こういったところを観てほしい」というところをお伺いしたいのですが、文楽のお稽古は、どのくらいなさるのでしょうか。


そうですね、本公演の前、大阪公演ですと、4日間のお稽古があるんです。一日目は「道具調べ」。本公演の道具の作ったものを順番に見るのですが、ちゃんとできてるかというところを、色とか、いろんな仕掛けとか…僕と和生さんと勘十郎さんで、3人で、東京、大阪の道具を見たりして…。それで、次の日が「立て稽古」ですね。これはまあ、大阪の公演の時だけなんですけれども、太夫さんの語りですね。太夫さんと三味線さんのお稽古です。その音を聞いて…次が舞台稽古になるので。

インタビューに答える玉男さん
(右は聞き手の高木秀樹)

 


――では本番と同じように、太夫さん三味線さんが義太夫節を演奏して、お人形を遣うというのは、残りの二日間だけなのですか。


そういうことですね。毎回2日間で…。文楽というのは、本当に舞台稽古が2日間しかないわけなんですね、それで合わせるわけですが、それが合うんですね。

――ちょっと考えられないですけど、合うのですね。

それで合うんです。舞台稽古になるまでに、各個人でお勉強したり、段取りつけたりして、ちゃんとやっていますけどね。

――そういうこともあるから、まず床本*…内容が頭になくちゃいけないということで、(先代玉男さんが)一生懸命楽屋で床本を読んでらっしゃったということなのですね。

*床本…文楽の太夫が語る時に使用する、詞章の記されている本のこと。


それからやっぱり、それまでビデオもちょっとは見ますね。段取りをするのでも、「どういうことをするのかな」っていうのは、ただ床本だけではわからないところがありますので。


人形遣い同士のコミュニケーション

――人形遣いは「3人遣い」、主遣い、左遣い、足遣いということですけれど、それぞれの合わせるコミュニケーションのとり方というのは、いったいどうなっているのでしょうか。

3人遣いですよね、世界に1つしかない3人遣い…主遣いが右手とかしらですね、頭の部分を持って、そして左遣い、足遣いと、3人で1つの人形を遣うわけですけども、3人の一番主役になるのは主遣いですので、主遣いのとおりに足遣い、左遣いが動くわけです。肩の動きと、かしらの動きで手も足も出るということなんですけど、主遣いが動かなかったら足遣いも左遣いも動かないということで、そこをこう、サインを出すっていうのをね…
 

――サイン?

サインですね。そこが主遣いの難しいところ、そして足遣い左遣いがそこをわからないといけない、ということですね。

――舞台稽古が、合わせるのが二日間だけだというお話がありました。その二日間だけのお稽古で、主遣いは「こう動きたい」という意図があっても、それを左遣いさん足遣いさんに明確に伝えるのは大変ですが、ちゃんと伝えられるものなのですね。

そうですね、僕なんかはまあ、舞台稽古というのはとにかく、初日の前ですので、「もう本番になっている」という気持ちなので…うちの師匠(先代玉男)のときからそうなのですけれど、うちの師匠は舞台稽古のときから、悪いところがあったらすぐに注意して、客席からぱっと注意したくらいで、怒鳴るまではいかないけれども、それくらい舞台稽古のときからうるさく言っていましたのでね。舞台稽古の時には本番どおりにやって、ちゃんとできてないといけないので、その辺はもう、ぴりぴりしてやっていましたね。


撮影:森口新太郎  東京都内にて

二代目吉田玉男襲名インタビュー ウェブ限定記事 第一弾!

 

インタビューの未放送部分を、記事としてご紹介いたします。第一弾の今回は、先代の玉男さんの人形について、そして二代目玉男さんご自身の芸についてのお話です。なお、インタビューの聞き手は、解説員の高木秀樹です。



先代玉男さんの「品格」

――先代の玉男さんの人形は、じっとしていても何を考えているのかわかるように思えたものです。当時の玉女さんは左遣いをなさっていて、先代の人形をどう思いましたか。

師匠はもともと「動く人形も好きや」と言ってはいましたが、動いたりすることや、三枚目の役などは本人もあまり好きではなかったようです。若いとき、昭和30年代の僕が入門する前から、二枚目の役、『本朝廿四孝』の勝頼、『桂川連理柵』の長右衛門、それから『妹背山婦女庭訓』の求女、そういう役が結構多かったですね。

インタビューに答える玉男さん


――若男というか、”イケメン”というか。

(先代は)そういう役が好きでしたけど、自分でも「二枚目遣いやった」と言っていました。僕が入門してから昭和40年代くらいになってからは白塗りのかしらが多く、悪役は遣わなかったですね。それと、きりっとした、本当に人形が動かないという品格が今でもすごいなと。資料映像を見ると、そういうことが非常に多かったですね。僕も2回、菅丞相(『菅原伝授手習鑑』の菅原道真)の「丞相名残の段」を…

――品格といえば、菅丞相が頂点ですよね。

(遣ったことがあるが)なかなか二段目*のほうは、遣えないなと思いましたね。次は二代目玉男の名前で菅丞相を遣わせてもらうと思うんですけれど、やっぱり何回も同じ役をやらせていただいて、発見するところが毎回あるんですよ、どんな役でもね。

*「丞相名残の段」は『菅原伝授手習鑑』二段目の一場面で、この場面の菅丞相は動きが非常に少なく、難しいという。


新しい発見と「余裕」

――前にやったお役でも、新しい発見が。

これは不思議なもので、1回2回ではだめなんですね。3回4回になってくると、「なるほど、またここでこういう遣い方で、こういうのがあった」というところがあるんですよ。今回、今年の1月に毛谷村(『彦山権現誓助剱』)の六助を遣いましたが、4回目くらいになるんですね。そうしたらまた、違うところが発見できたんですよ。今までここでこうしていたけれども、これはこういう振りがあるのかな、というところがありまして。どんなお芝居でも、1回2回、3回4回と回数を重ねてくると、また違うところが発見できて、また大きい役を使う楽しみみたいなのが、でてくるかなと思うんです。
二代目玉男さんと聞き手の高木秀樹

――人形を遣っている心持、気持ちが変わるというのもあるかもしれませんが、遣っているうちに、こうもやりたいという新しい工夫が見つかることもありますか?

そうですね。今まで師匠の資料でこうやっていたというのがあるんですけれど、ここはこうしても構わないのかなと、余裕っていうのかな、が出てくるんですよね。(人形遣いになった)初めは慌しく、余裕があんまりないですよね、大きい役になってくると。それが年数を重ねてきて、その役を何回もやらせてもらえると、余裕が出てくるんですよね。余裕をもって遣えたら、どんな役でもいいと思うんですよ。そういうところがちょっと最近出てきたかなって思います。

――そういった芸の境地といいましょうか、それに合わせてお名前も玉女から玉男になられて、いい時期の襲名だったのではないでしょうか。

そうですよね、僕は今年で62になるんですけども、二代目玉男を襲名させていただいて、「60からや」と自分では思っておりますので、何十年とやっていって…先代の玉男という大きな名前をお客様はご存知なので、「やっぱり二代目の玉男もええなあ」っていうことも、わかってもらえたら嬉しいですね。

撮影:森口新太郎  東京都内にて