鈴木多美 2014年1月
「二人禿」の禿とは「かぶろ」とも呼ばれ、元々は切り下げ髪のおかっぱ頭の7〜8歳の子供全般を意味しました。江戸時代になると禿は遊郭に売られて来少女を指し、太夫や天神という格の高い遊女の身の回りの世話をしながら廓のしきたりや客の扱いなどを修行していずれは遊女として一本立ちします。
「二人禿」の中の語りで〽禿かむろと沢山そうに 言うておくれな憂きの里 と、次々と言い付けられる用事を子供ながらこなす、愛らしくも一種の哀れを誘う存在すを主人公にした舞踊は歌舞伎で天明5年(1785)の吉原遊郭が舞台の長唄・義太夫「羽根の禿」や天明八年の京都の島原遊郭の禿が登場する常盤津「戻駕色合肩」があります。
文楽「二人禿」は上記の曲を元にして昭和16年(1941)4月に大阪四ツ橋文楽座で初演された新作で、人形は名人初代吉田栄三と三代目吉田文五郎が勤めました。桜満開の早朝の島原遊郭、まだ太夫さんは床の中なのでこの隙に二人の禿は羽根つきや鞠つきに興じます。作詞作曲は野澤松輔。松之輔は現在も上演される復活浄瑠璃「曽根崎心中」の作曲者。振付は山村若栄(吉田文五郎の娘)です。廓の中で開花を待つ蕾の花のような禿の舞をお楽しみ下さい。 |