創演:元禄(げんろく)十年(1697)
「押戻(おしもどし)」と同様に、かつては単独の芝居ではなく、ある芝居の一場面で「しばらぁく」と声をかけて悪者を懲らしめる、というひとつの演出として存在していたようです。
毎年十一月の顔見世興行(かおみせこうぎょう)には必ずこの趣向を取り入れた芝居を出す習慣がありました。
主人公の名も今でこそ鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)に定着していますが、かつての芝居ではこれが毎回違っていました。
他の役でもしかり。
ただし大まかな姿や、動作とせりふ、あるいは劇における役柄は、だいたい決まったパターンでした。
そこで主だった役はそれにふさわしいあだ名でいつしか呼ばれるようになりました。 「観客の知恵」です。
「しばらぁく」と声をかける主人公が「暫(しばらく)」。
その声を受ける悪公卿が「ウケ」。
ふとっちょで髭のある坊さんを「なまず」。
ウケの手下は赤ッ面で太鼓腹だから「腹出し(はらだし)」。
今にも斬られそうな善人たちは「太刀下(たちした)」……という具合です。
これらのニックネームがピッタリの姿を、実際に舞台で確認してみてください。
「暫」の姿は、浮世絵の影響もあるのか、外国人に最も知られた歌舞伎のキャラクターだそうで、たしかに一度見たら忘れられない格好です。
成田屋(なりたや:市川團十郎家の屋号)の三枡の紋(みますのもん)がくっきりと映える衣裳、紅隈(べにぐま)、車鬢(くるまびん)というピチピチのクルマエビを思わせる髪型と頭につけた白い力紙(ちからがみ)、長ぁい太刀…と、どこをとってもスケールの大きい荒事(あらごと)らしさに満ちています。
このスーパーマンが花道から出てきて、本舞台へと動くときに、舞台上の面々がかける声が化粧声(けしょうごえ)。
「あーりゃ こーりゃ ・・・・・・・・・・・でっけぇえぇ!」
なんというおおどかさ。
また最後に、このスーパーマンが花道をひとり悠々と引っ込んでいくときには自らデッカイ掛け声を張り上げる「やっとことっちゃぁ うんとこなぁ!」
悪人どもを蹴散らし、身の丈もあるとてつもない大太刀を肩にかついで勇壮に花道を引っ込む豪快な男。
そういえば、この大太刀の一振りで、悪人たちの首がコロコロと舞台の上に転がったりもします。
その超人ぶりは単に力だけの話でしょうか。
タイトルにもなった「しばらく」の一声で、悪者が善人たちの首をはねるのを止めてしまうくだりを見ていると、主人公には「時間の流れを止めてしまう能力」があるのだ…と思わずにはいられません。
あなたも劇場で、止まった時間の中に身をゆだねてみませんか? |