「矢の根」は歌舞伎十八番の中で 最も短く 、単純かつ素朴な一幕物。
曽我狂言ですので、春芝居お正月の上演が江戸時代から吉例となっていました。年の初めに五郎時致の勇壮な姿を見ることは、江戸の庶民にとっては一年の厄払いとなる縁起物であったわけです。
なかでも、呪力をもつと信じられる「矢」にまつわる演目「矢の根」は、殊更に民間信仰色の濃いものと言えるでしょう。
古来、神の意志を示すものとして絶対の至上命令を意味する「白羽の矢」は、神が どこからともなく飛ばされた矢が、人家の屋根に立ってある暗示を与えるものと信じられ、これを現代でも、多くの人の中から誰かを選ぶ場合に「白羽の矢」が立つなどと申します。
ところで、お正月ではない当月、團菊祭に「矢の根」がかかりますのは、團十郎家の十八番ものであることはもちろん、
曽我五郎時致の扮装や存在の力強さが、あたかも五月人形のようであること、
曽我五郎と 兄の十郎が非業の死を遂げた その命日が、5月28日であること、
また、日本民俗学者の柳田国男氏の考証にもありますが、「御霊(みたま)」と書いて それを音読みした“ごりょう”が、曽我五郎の名に通じることから、5月の田植の時に祭る「荒人神」の本体として民衆に親しい存在であったことなど、
いくつかの理由から 誠に相応しいように思えるのですが、風薫る季節の曽我狂言は 如何でしょうか? |