歌舞伎・文楽ミニ知識 - イヤホン解説余話

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「暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)」 歌舞伎座

名前を借りる
このお芝居は昭和6年に発表された長谷川伸の小説を劇化したものです。「暗闇の丑松」というと講談「天保六花撰(てんぽうろっかせん)」で知られる六人の一人で、歌舞伎の『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』にも登場しますが、作者はその名前だけを借りてこのお芝居の主人公の名と題名にしたのだといいます。思うに、“ 暗闇 ”というのに作者はひかれたのでしょう。

暗すぎて
六代目尾上菊五郎が舞台化を熱望したにもかかわらず、なかなか実現しなかったのは、内容が暗すぎるという理由からだったようですが、昭和9年、当の菊五郎が念願の丑松に扮して初演し、大成功を収めました。そのストーリーはおおよそ次のようです。

料理人の丑松は、内縁の妻、お米が義母によって金持ちの妾(めかけ)にされようとするのを止めるはずみに、義母とその助っ人の浪人者を殺してしまい、兄貴分の四郎兵衛にお米を預けて逃亡します。1年後、江戸に戻った丑松は板橋宿で女郎に売られたお米と再会。お米は四郎兵衛に犯されたあげく、今の境遇に落ちたと丑松に訴えますが、四郎兵衛を信じ切っている丑松はお米を責め立てます。程なく丑松はお米の話が本当だったと知るものの、時すでに遅く、お米は…。
四宿のひとつ板橋宿
丑松とお米が再会する板橋宿は今の東京都板橋区板橋一丁目~本町の辺りで、中山道の宿場、江戸の北西の入口でした。宿場を横切って石神井(しゃくじい)川が流れ、その昔、これに板の橋が掛かっていたのが板橋という地名の由来なのだといいます。

板橋宿は東海道の品川宿、奥州街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿(今の新宿)と並んで江戸の四宿(ししゅく)に数えられました。これらはいずれも街道の、江戸・日本橋を出て最初の宿場でしたから、旅人ばかりか見送りや出迎えの人も多く、歓楽街としても賑わいました。江戸時代の記録に、ある時期の板橋宿の人口は男1053人、女1359人とあり、女性が多いのは宿場女郎を多く抱えていたからだといいます。



現在の板橋はコンクリート製
 

飯盛女
このような宿場女郎は飯盛女(めしもりおんな)とも呼ばれました。江戸では吉原だけが幕府公認の遊廓でしたから、吉原以外で売春するのは非合法です。そこで宿場のこの種の店は表向きは旅籠(はたご、宿屋)であり、客の相手をする女性を、食事の給仕をする体にして、こう呼んだわけです。もっともお上はこうした非合法売春を取り締まることはほとんどなく、黙認していたのが実態だったようですが。
四宿で最下位
今から170年程前に刊行された一種の百科事典「守貞漫稿(もりさだまんこう)」には「江戸の四口各娼家あり(江戸の四つの出入り口にはそれぞれ遊女屋があり)、品川を第一とし、内藤新宿を第二とし、千住を三、板橋を四とす。是妓品(これは遊女の質)を云也(いうなり)」とあり、板橋の遊女は四宿のなかで一番下のランクだったようです。

お米は、そんな場末の遊女に売り飛ばされたあげく、みずから命を絶ち、丑松は信頼していた兄貴分に裏切られる踏んだり蹴ったりの人生。暗闇のなかで光明を求めてもがき苦しむ二人の惨めさ、やりきれなさがなんともせつないお芝居です。
 
「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」 国立小劇場

三曲演奏
このお芝居は平成9年に国立劇場で歌舞伎『壇浦兜軍記』の通し上演がありましたが、今月のように文楽では三段目 「阿古屋琴責の段」、歌舞伎ではほとんど「阿古屋」が上演されるのみです。鎌倉方の武将が、源頼朝の命を狙う景清の行方を景清のなじみの傾城 阿古屋に尋ねる際に、岩永左衛門は拷問しようとしますが、知恵と情けを兼ね備えた畠山重忠は琴・三味線・胡弓(三曲)を演奏させ、その音色に乱れがないことから、「景清の行方を知らない」という阿古屋の答えに嘘偽りがないと判断するというお話で、文楽では三味線の技芸員が、歌舞伎では阿古屋を演じる女方が琴・三味線・胡弓を演奏するのも聴きどころの一つです。
これまでのお話
ここで、「阿古屋琴責の段」には登場しない景清について、この場面の前はどのようなことがあったのかを見てみます。
1185年、平家は壇ノ浦(山口県下関市)で義経率いる源氏に滅ぼされ、生き残った平家ゆかりの者には田舎に隠れ住んだ者もいて、平家の隠れ里と言われるものが日本各地にあります。景清は平家に仕えて戦った勇猛な武将で、錣引(しころびき:屋島の戦いで、景清


が源氏方の美尾谷十郎の兜の錣(防御のために兜の左右や後方に垂らした部分)を引きちぎった)など、様々な伝説が残っていて、能・歌舞伎・文楽などの題材になっています。
(『壇浦兜軍記』では壇の浦で景清が箕尾谷(みおのや)の錣を引きちぎったことになっています。)
景清は1195年、東大寺大仏殿落慶供養に参列した源頼朝を暗殺しようとして捕らえられ、鎌倉化粧坂の土牢に幽閉されたといわれています。『壇浦兜軍記』では頼朝は大仏供養には妻 政子と家臣を代理に差し向けることにしたので、ひそんでいた景清も去り、源氏方は「主人の敵」と頼朝を付け狙う景清の行方をさがしているのです。
その後の景清

「阿古屋琴責の段」の後、四段目で、 阿古屋は景清の居所に心当たりはないものの、景清との間にできた子を抱いて兄と共に景清を捜す旅に出て、近江の根井大夫(ねんいのたいふ)館の普請場で景清に出会います。景清は大工として入り込み、頼朝が立ち寄るのを待っていたのですが、根井大夫はそれを見破り、左官に変装していた娘婿の箕尾谷に捕らえさせます。景清は箕尾谷に実は兄弟であることを明かし、鎌倉に引いて行けと命じます。
景清は詰牢に入れられ、岩永が当番の日に牢を破ります。景清が怪力で牢屋を破って脱出する様子を描いたのが歌舞伎十八番の『景清』で、相撲や寿司を好み、日本びいきだったベルナール・ビュフェはその歌舞伎十八番『景清』を題材に油絵を描いています。この大きな絵は建て替え前の歌舞伎座に飾られていたので、覚えていらっしゃる方もおいでのことと思います。

 ベルナール・ビュフェ画『景清』


解説余話バックナンバー

 

2019年01月 「廓文章」歌舞伎座・「二人禿」国立文楽劇場

2018年12月 「二人藤娘」歌舞伎座・「鎌倉三代記」国立小劇場
2018年11月 「実盛物語」平成中村座・「鶊山姫捨松」 大阪国立文楽劇場
2018年10月 「華果西遊記」大阪松竹座
2018年09月 「金閣寺」歌舞伎座 ・「増補忠臣蔵」国立小劇場

2018年08月 「盟三五大切」歌舞伎座 ・「日本振袖始」国立文楽劇場

2018年07月 「河内山」大阪松竹座 ・「卅三間堂棟由来」大阪国立文楽劇場
2018年06月 「平家女護島 俊寛」博多座 ・「絵本太功記」国立文楽劇場

2018年05月 「雷神不動北山櫻」歌舞伎座・「本朝廿四孝」国立小劇場
2018年04月 「絵本合法衢」歌舞伎座・「義経千本桜 道行初音旅」国立文楽劇場
2018年03月 「国性爺合戦」歌舞伎座
2018年02月 「一條大蔵譚」歌舞伎座・「女殺油地獄」国立小劇場

2018年01月 「京人形」浅草公会堂・「傾城恋飛脚」国立文楽劇場