歌舞伎・文楽ミニ知識 - イヤホン解説余話

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「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」 歌舞伎座 第三部

 

明日は放生会
恩人のために人を殺(あや)めた関取の濡髪が、老母にひと目会おうと実家へ立ち寄ったのは、明くれば石清水(いわしみず)八幡宮の放生会(ほうじょうえ)であり、中秋の名月という晩でした。母には義理の息子(亡夫の先妻の子)、十次兵衛もいて、こちらは、その日に代官に任ぜられ、初仕事に濡髪を逮捕するよう命じられたのです。   
月の照る夜に
義理と人情のせめぎ合いにさいなまれる母と二人の息子たち。「生けるを放つ放生会」を背景に、屋根の明り取りの引窓を、開ければ差し込む月明かりが劇的にからんで、舞台は詩情豊かに展開します。 
生き物に感謝
放生会は、殺生(せっしょう)を戒める仏の教えから生まれた法要で、年に一度、捕まえた鳥や魚を放してやる行事です。人は自身が生きるために、生き物を捕り、生活の糧にしています。放生会では、その罪滅ぼしをし、改めて「生きとし生けるもの」に感謝しようというのです。

元来、仏教の行事だった放生会は、やがて神社である八幡宮でも催され、今も、石清水をはじめ、福岡の筥崎(はこざき)宮などで盛大に行われています。
唐の軍隊から?

八幡宮に祭られる八幡神は大分県の国東(くにさき)半島で信仰されはじめたといわれ、同県の宇佐八幡宮が元締めです。“ 八幡 ”は中国の唐で、軍隊を象徴した「八本の幡(旗)」がその語源だとする説があり、この信仰は大陸から伝わったともいわれます。やがて八幡神は誉田別尊(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)であるとされました。


都の南西に
石清水八幡宮は、朝廷が京の都を護ってもらおうと、860年に京の裏鬼門(南西の方角)に当る男山(おとこやま、京都府八幡市)に宇佐の神を請じて祭ったのが始まりです。源氏は八幡神を氏神とし、源義家はここで元服して、八幡太郎と呼ばれました。
神と仏が合体
八幡神はまた、奈良の大仏様を造るのを助けたといわれるほど仏教と固く結びつき、神仏習合(しんぶつしゅうごう)という形で信仰されました。仏教では「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」と称されます。
戦没者慰霊
八幡信仰は、この神と仏が合体したことから、また軍神と崇めた武士の台頭とともに、全国に広がりました。八幡社の数はお稲荷さんと一、二を争うほどだとか。

仏教を起源とする放生会が八幡宮でも行われるのは、神仏習合信仰からといえましょう。ただ八幡宮で行われる放生会は、八幡神が戦の神であることから、戦争犠牲者の霊を慰めるのも大きな目的だったようです。
放生会が催される石清水八幡宮
 

「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」 国立小劇場 第二部

重ねて四つに
近松門左衛門が、大坂の高麗橋で実際にあった「妻敵討(めがたきうち、女敵討とも)」を下敷きにして、妻の不倫、姦通(かんつう)をテーマに書いたのが『鑓の権三・・・』です。

妻敵討は他の男と情を通じた、平たく言えば「出来てしまった」妻やその相手を討つという敵討の一種です。夫は、現場を見つけたら、重ねて四つにしても、逃げたら追いかけて討ち果たしても良いというもので、室町時代の書物に、すでに「妻敵」という言葉が出てくるそうです。

名誉のため、道徳のため?
江戸時代には「妻敵を討たないでは家は立ち難い」と唱え、制度として設けた、つまり法的に認めた藩もあったくらいですから、当時の人々にはよく知られたものだったのでしょう。

徳川幕府は、かえって家の恥をさらす不名誉なこと、とはじめは反対したようですが、やがて認め、幕末にはその記録があるといいます。妻敵討を、名誉の問題というより、夫婦や家のまっとうなありかた、倫理や道徳が乱れるのを防ぐものと考えるようになったからではないでしょうか。
お金で解決 

武士はもちろん町人の間でも行われたようですが、幕府の当初の考え同様、恥さらしな馬鹿らしい行為という見方もされ、町人は次第にお金で解決する風潮になったとか。京阪では5両、江戸では7両2分という相場まであったようで、当時の川柳は「生けておく奴ではないと五両とり」と茶化しています。

互いに思惑が
『鑓の権三・・・』は妻敵討される二人、おさいと権三が主人公です。おさいは娘の婿に権三を迎えたかった。一方の権三は茶の湯の奥義(おうぎ、究極の技)を知りたくて茶の湯の宗匠の妻、おさいに近づきました。しかし彼らは、実際は、不義密通をしたわけではありません。
無実でも

ところが両人は、弁解するのが難しい状況だったとはいえ、甘んじて、というよりむしろ積極的に討たれようとするのです。

二人がそう決心した訳はいろいろ解釈できると思いますが、お芝居をごらんになって、皆様はどう受け取られるでしょうか。
油壺から出た様な・・・

ところで近松は権三を「鑓の権三は伊達者でござる、油壺から出た様な男、しんとんとろりと見とれる男・・・」と描いています。彼は美男で槍(やり)の名手、その上茶の湯にも秀で、一見、非の打ちどころがありません。

総じて妻敵になろうというような男はたいていそんな好男子で、逆に、討つ側は醜男(ぶおとこ)というのが通り相場だったよう。「女敵は打つ方が憎体(にくてい)のつら」と川柳にもあるほどです。

現代の高麗橋(大阪市中央区)

近松がモデルにした妻敵討が起きた現場
 

解説余話バックナンバー

 

2020年08月 「らくだ」シネマ歌舞伎
2020年07月 「東海道中膝栗毛」シネマ歌舞伎
2020年06月 「喜撰」シネマ歌舞伎
2020年05月 「蜘蛛の拍子舞」シネマ歌舞伎

2020年04月 「身替座禅」新橋演舞場・「義経千本桜 すしやの段」 国立文楽劇場

2020年03月 「連獅子」伝統芸能 華の舞
2020年02月 「菅原伝授手習鑑 道明寺」歌舞伎座・「道行故郷の初雪」歌舞伎座/「傾城恋飛脚」国立小劇場

2020年01月 「河内山」歌舞伎座・「傾城反魂香」大阪国立文楽劇場

2019年12月 「輝虎配膳」京都南座・「平家女護島」国立小劇場

2019年11月 「小笠原騒動」平成中村座・「心中天網島」国立文楽劇場

2019年10月 「碁太平記白石噺」御園座

2019年09月 「東海道四谷怪談」京都南座