「沼津」みどころききどころ

伊賀越レベル 
★★☆
くまどりん
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『伊賀越道中双六』といえば「沼津」。賑やかな街道を舞台に、親と子、兄と妹が出会い、そして悲しい別れをする、見ごたえたっぷりの名場面です。今回はその「沼津」から、みどころききどころをご紹介します。

東海道五十三次
「沼津」場面最初の語りだしは「東路に、ここも名高き沼津の里」。「名高き」の「き」は、「きいいいいいいい〜」と延ばして語られますが(これを「産み字」といいます)、なんと「いいい〜」が53もの節に変化するそうです。これは東海道五十三次にちなんでの変化なのだそう。ぜひ注意して聴いてみてくださいね。


十兵衛の東西
沼津の宿を通りかかった呉服屋の十兵衛。実は、敵討ちの標的となっている沢井股五郎に仕えています。ひょんなことから平作じいさんに荷物を運んでもらうことになりましたが、それが悲しいドラマの発端となるのです。ところでこの十兵衛の衣装と役作り、東西で少々、違いがあります。大きな違いはまず「笠」。上方・鴈治郎系統の十兵衛は、朝顔型の道中笠を持ちます。対して、江戸・吉右衛門系統の十兵衛は、三角形の菅笠。次に「かっぱ」。上方・鴈治郎系統は、裾の長いはっぴのような道中着を着込みますが、江戸・吉右衛門系統は、廻し合羽をマントのように羽織ります。そして役作り。上方・鴈治郎系統では、「二枚目半」。綺麗なお米に一目ぼれしてでれでれしたり、平作じいさんとコントのようなやりとりをしたり、柔らか味のある人物造詣です。一方、江戸・吉右衛門系統では、「辛抱立役」という役柄で、上方の演出にくらべると、思慮深く実直な雰囲気を強く出します。原作、文楽の十兵衛に近づいたキャラクター設定です。演じる役者によっては、両方の型をミックスすることも。ご覧の際は東西の違いに注目してみましょう。

左富士
鎌倉から西へ急ぐ十兵衛。平作じいさんと出会ったときは、沼津宿から、2つ先の吉原宿を目指して移動中でした。十兵衛と平作じいさんは、富士山をバックに下手(左手)から上手(右手)へと歩いていきますが、よくよく考えてみると、この方向では江戸に戻ってしまいますね。ところが、東海道には、江戸から京都へ行く間、道路の方向の関係上、このように富士山を左に見ながら進む場所があり、「左富士」と呼ばれていました。有名な「左富士」として、戸塚宿と平塚宿の間、現在の神奈川県茅ヶ崎市鳥井戸橋のあたりと、原宿と吉原宿の間、現在の静岡県富士市、吉原駅から少し西に行ったあたりの2箇所があります。どちらも、記念碑が建てられ、付近の地名に「左富士」が残っています。では、十兵衛と平作じいさんの道行ルートはというと、沼津宿から大して進んでいない様子、残念ながら「左富士」の見える道ではなかったようです。
 
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