「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 山科閑居(やましなかんきょ)」 歌舞伎座
「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」 国立文楽劇場
くまどりん
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「仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居」 歌舞伎座
歌舞伎や文楽では舞台装置の家の襖(ふすま)や床の間の掛け軸に、しばしば、漢詩が書かれています。そしてこの詩は登場人物の境遇やその場の状況を暗示していることが多いのです。
今回は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の“ 山科(やましな)閑居の場 ”に見られる漢詩をご紹介します。

赤穂義士の仇討ちを題材にした『仮名手本忠臣蔵』の一場面。舞台は元、塩冶(えんや)家の家老、大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)が住む山科の閑居です。


「山科閑居」の襖


折れた剣とまがった釣針
この山科閑居の襖には、歌舞伎座では、唐の詩人、白居易(はくきょい、白楽天とも)の「折剣頭」が書かれることが多いようです。ちょっと長いのですが、その全文は次の通りです。
拾得折剣頭 (おれたるつるぎのさきをひろいえたり)
不知折之由 (おれたるいわれはしらず)
一握青蛇尾 (ひとにぎりのあおきへびのおか)
数寸碧峰頭 (すうすんなるへきのみねのいただきか)
疑是斬鯨鯢 (うたごうらくは これ げいげいをきりしならん)
不然刺蛟? (しからずば こうきゅうをさせしか)
缺落泥土中 (でいどのなかにかけおち)
委棄無人収 (ゆだねすてられて ひろうひとなし)
我有鄙介性 (われはいやしく かたくななるさがありて)
好剛不好柔 (かたきものをこのめど やわらかきものをこのまず)
勿軽直折剣 (なおきゆえに おれたるつるぎをかろんずるなかれ)
猶勝曲全鉤 (まがりつつ まったきつりばりには なおまさりなんものを)

意味: 折れた剣の切っ先を拾った。なぜ折れたのか理由は分からない。美しくさびついて、青い蛇のしっぽとも、碧(あお)い峰のいただきを数寸に縮めたとも見える。
大鯨(おおくじら)を斬ったか、そうでなければ大みずち(竜に似た、想像上の動物)を刺した剣なのだろう。
泥の中に欠け落ちたまま見捨てられ、誰も拾わない。
しかし私は馬鹿正直で、堅いものが好き、柔らかいものが嫌い。
真っ直ぐなために折れたこの剣を軽んじてはならない。欠けてはいないが曲がっている釣針よりは勝っているのだから。

潔癖ゆえに、贈賄したゆえに
さて、この場のお話は・・・。
加古川本蔵の妻、戸無瀬(となせ)と娘、小浪(こなみ)が由良之助の閑居を訪ねます。小浪は由良之助の子、力弥(りきや)とかつて婚約したものの、その後「塩冶判官(はんがん)の刃傷事件」 〜 「塩冶家取り潰し」という波乱で、由良之助は浪人となり、大星一家の境遇は一変。結婚はお預けになっていたのです。 戸無瀬は娘を嫁がせようと押しかけて来たわけですが、由良之助の妻、お石に拒絶されます。
ここで、さかのぼって刃傷事件前後のいきさつを見ておきましょう。桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)は、高師直(こうのもろのお)に恨みを抱き、足利将軍家で勅使(ちょくし、天皇の使者)をもてなす日に、師直を斬るつもりでした。桃井家の家老、本蔵は主人の決意を知るや、先回りして、師直にワイロを贈り、物陰から首尾をうかがいます。 贈賄が功をそうし、師直は若狭之助に平身低頭して、大事は回避されました。本蔵は胸をなでおろすのですが、やがて師直は遅刻してきた塩冶判官をなじり始めます。ついに判官はキレ、相手に斬りつけるも、本蔵が飛び出て抱きとめたため、師直は命拾いすることに。 由良之助にすれば、主人、判官に本望を遂げさせなかった本蔵を立場上許すわけにはいかないのです。
お話をこの場に戻します。嫁入りを拒絶され、絶望した母娘が死のうとすると、お石は「本蔵の首を引出物にするなら」と切り出します。当の本蔵は密かに妻子の後をつけて来ていて、始終を聞いていました。彼は自ら力弥の手にかかって果て、娘を嫁入りさせるのでした。
もうおわかりと思いますが、詩の「真っ直ぐなために折れた剣」には判官の姿が重なります。彼は師直に媚びへつらわなかったので、師直になじられ、あげく斬りつけ、その罪で切腹させられたからです。逆に「欠けてはいないが曲がっている釣針」は、主君のためとはいえ、師直にワイロを贈った加古川本蔵を暗示しています。

かくし味
このように何気なく飾られているかに見える襖の漢詩はお芝居に深くかかわり、かくし味になっているわけですね。
なお、襖のなかには、黒地に白い文字のものもあります。これは、石碑などに墨を塗り、刻まれた文字を紙に写し取った拓本(たくほん)が貼られた襖で、「石刷り(いしずり)の襖」と呼ばれます。

 
「傾城恋飛脚」 国立文楽劇場

封印切の果てに
このお芝居は、近松門左衛門が実際の事件を脚色した『冥途(めいど)の飛脚』を、菅専助と若竹笛躬(ふえみ)がさらに改作した作品。『恋飛脚・・・』(これも近松の『冥途・・・』の改作)の続編で、二人が忠兵衛の故郷、大和の新口村(現、奈良県橿原市(かしはらし)新口町(にのくちちょう))へやってきた場面です。

大衆向けに改作
『新口村(にのくちむら)の段』では二人と父親の最後の交流が描かれます。近松の原作は雨からアラレになる空模様を背景にしていますが、改作は雪が降ります。前の封印切のくだりも、原作が忠兵衛の人間的弱さを強調しているのに較べ、改作は登場人物を、お話をよりドラマティックにするキャラクターに設定。たとえば忠兵衛が封印を切るにいたる口論の相手、八右衛門は、原作では、忠兵衛がこれ以上深みにはまらぬように、と彼を思いやる人物ですが、改作では敵役にしています。改作の方が大衆受けするつくりのようです。



近鉄、新口駅前に建つ「新口村雪の別れ」碑


ペアの衣裳で

この段の梅川、忠兵衛のこしらえは黒地に花と流水の裾模様というペア、「比翼(ひよく)」の着流しです。
比翼は一目一翼の雌雄の鳥が離れず飛ぶ様のことで、男女の仲の良さを象徴する言葉。唐の玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋をうたった白居易(はくきょい、白楽天とも)の「長恨歌(ちょうごんか)」に“ 天にあらば比翼の鳥 ”とあることでも知られています。
人目を忍ぶ逃避行にお揃いの着物でもないでしょうが、離れがたない二人の仲を美しく表す工夫ですね。

返り咲いた梅川?
史実では、二人は捕えられ、忠兵衛は死罪になり、梅川は、尼になって彼の菩提を弔ったとも、新町の廓に返り咲いたともいわれます。梅川は忠兵衛が横領した金で身請けされたわけですから、廓へ戻されたという説が頷けますし、そう記された書物もあるそうです。

 
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