折れた剣とまがった釣針
この山科閑居の襖には、歌舞伎座では、唐の詩人、白居易(はくきょい、白楽天とも)の「折剣頭」が書かれることが多いようです。ちょっと長いのですが、その全文は次の通りです。
拾得折剣頭 (おれたるつるぎのさきをひろいえたり)
不知折之由 (おれたるいわれはしらず)
一握青蛇尾 (ひとにぎりのあおきへびのおか)
数寸碧峰頭 (すうすんなるへきのみねのいただきか)
疑是斬鯨鯢 (うたごうらくは これ げいげいをきりしならん)
不然刺蛟? (しからずば こうきゅうをさせしか)
缺落泥土中 (でいどのなかにかけおち)
委棄無人収 (ゆだねすてられて ひろうひとなし)
我有鄙介性 (われはいやしく かたくななるさがありて)
好剛不好柔 (かたきものをこのめど やわらかきものをこのまず)
勿軽直折剣 (なおきゆえに おれたるつるぎをかろんずるなかれ)
猶勝曲全鉤 (まがりつつ まったきつりばりには なおまさりなんものを)
意味: 折れた剣の切っ先を拾った。なぜ折れたのか理由は分からない。美しくさびついて、青い蛇のしっぽとも、碧(あお)い峰のいただきを数寸に縮めたとも見える。
大鯨(おおくじら)を斬ったか、そうでなければ大みずち(竜に似た、想像上の動物)を刺した剣なのだろう。
泥の中に欠け落ちたまま見捨てられ、誰も拾わない。
しかし私は馬鹿正直で、堅いものが好き、柔らかいものが嫌い。
真っ直ぐなために折れたこの剣を軽んじてはならない。欠けてはいないが曲がっている釣針よりは勝っているのだから。
潔癖ゆえに、贈賄したゆえに
さて、この場のお話は・・・。
加古川本蔵の妻、戸無瀬(となせ)と娘、小浪(こなみ)が由良之助の閑居を訪ねます。小浪は由良之助の子、力弥(りきや)とかつて婚約したものの、その後「塩冶判官(はんがん)の刃傷事件」 〜 「塩冶家取り潰し」という波乱で、由良之助は浪人となり、大星一家の境遇は一変。結婚はお預けになっていたのです。
戸無瀬は娘を嫁がせようと押しかけて来たわけですが、由良之助の妻、お石に拒絶されます。
ここで、さかのぼって刃傷事件前後のいきさつを見ておきましょう。桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)は、高師直(こうのもろのお)に恨みを抱き、足利将軍家で勅使(ちょくし、天皇の使者)をもてなす日に、師直を斬るつもりでした。桃井家の家老、本蔵は主人の決意を知るや、先回りして、師直にワイロを贈り、物陰から首尾をうかがいます。
贈賄が功をそうし、師直は若狭之助に平身低頭して、大事は回避されました。本蔵は胸をなでおろすのですが、やがて師直は遅刻してきた塩冶判官をなじり始めます。ついに判官はキレ、相手に斬りつけるも、本蔵が飛び出て抱きとめたため、師直は命拾いすることに。
由良之助にすれば、主人、判官に本望を遂げさせなかった本蔵を立場上許すわけにはいかないのです。
お話をこの場に戻します。嫁入りを拒絶され、絶望した母娘が死のうとすると、お石は「本蔵の首を引出物にするなら」と切り出します。当の本蔵は密かに妻子の後をつけて来ていて、始終を聞いていました。彼は自ら力弥の手にかかって果て、娘を嫁入りさせるのでした。
もうおわかりと思いますが、詩の「真っ直ぐなために折れた剣」には判官の姿が重なります。彼は師直に媚びへつらわなかったので、師直になじられ、あげく斬りつけ、その罪で切腹させられたからです。逆に「欠けてはいないが曲がっている釣針」は、主君のためとはいえ、師直にワイロを贈った加古川本蔵を暗示しています。
かくし味
このように何気なく飾られているかに見える襖の漢詩はお芝居に深くかかわり、かくし味になっているわけですね。
なお、襖のなかには、黒地に白い文字のものもあります。これは、石碑などに墨を塗り、刻まれた文字を紙に写し取った拓本(たくほん)が貼られた襖で、「石刷り(いしずり)の襖」と呼ばれます。 |