雨乞小町
六歌仙の一人で、美女の代名詞とされる小野小町には雨乞いの歌を詠んだという言い伝えがあり、歌舞伎ではこの『雷神…』などにその伝説が取り入れられています。その歌は「理(ことわり)や 日の本ならば 照りもせめ さりとてはまた 天が下とは」というものです。意味は「我が国は日の本といいますから、陽が照るのも理屈でしょう。でも、天(雨)が下ともいいますから、降ってもいいでしょうに」です。
このお芝居では、小野春道、春風父子の家に、先祖の小町が詠んだこの歌の短冊が家宝として伝わっています。その短冊を春風が紛失したことから、一騒動となるくだりは『毛抜』というタイトルで単独でもよく上演されます。
雨乞いの方法
さて、当時の雨乞いの方法には「山野で火を焚く」、「神仏に芸能を奉納してお願いする」、「禁忌(やってはならぬこと)を犯す」、「神社に籠る」、「類感呪術(るいかんじゅじゅつ、雷鳴や降雨をまねて実際の雨を誘おうとする)」などがあったようです。
『雷神…』の原作には、春道の娘、錦の前のセリフに「(小町の)歌が書かれた短冊を神慮にまかせ、神泉苑(しんせんえん)の御池にひたし、雨を祈り、先祖小町の名を二度上げて、天下の嘆きを休めとう存じまする」とあります。これは上記の中では「神仏に芸能を奉納してお願いする」に近く、小町がかつて神泉苑で行ったという雨乞いを再現しようというものなのでしょう。 |