くまどりん イヤホン解説余話
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「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋」 歌舞伎座

時代がチグハグ?
『菅原…』の一場、「寺子屋」は江戸時代、子供を教育した寺子屋が舞台です。このお芝居は平安時代の人物、菅原道真にまつわるお話なのに、なぜ江戸期の寺子屋が出てくるのか…。
歌舞伎や文楽では、江戸時代より前の出来事を扱ったお芝居を「時代物」と呼びます。これは、お話は昔のエピソードを基にしつつも、それが書かれた江戸期の考え方や風俗、習慣をベースに創られました。ですから「見かけこそ昔話ながら、その実は(江戸時代の)現代劇」と言ってよいでしょう。

江戸の就学率は抜群
さて寺子屋は「手習所」、「手習塾」などとも呼ばれ、幕末、嘉永期(1850年頃)の江戸には1500余り、全国には1万5千もあったのだそうです。当時、江戸の就学率は80%近く。同じ頃、産業革命を遂げたイギリスの都市部でさえ25%弱だったといいますから、江戸の教育水準は世界でも群を抜いていたわけです。これはひとえに寺子屋が普及していたおかげでした。
ボランティア先生

寺子屋は個人が経営し、その経営者兼師匠(先生)はたいてい武士や僧侶、農民でした。ただ経営といっても、彼らは本来の職業から収入があったので、授業料を頼って暮らしたわけではありません。ですから先生へのお礼は、都市部では多少のお金や菓子折り、農村では採れた野菜といったこころざし程度だったようです。寺子屋の先生はいわばボランティアだったのですね。
感謝される喜び
ではなぜ全国で1万5千もの寺子屋が営まれるほど、大勢のボランティア先生が

一掃百態 寺子屋図:渡辺崋山 画 文政元年 
愛知県 田原市博物館蔵

いたのでしょうか。先生になると、たとえ身分は低くても、人別帳(戸籍)に「手跡指南(しゅせきしなん)」という教育者として登録されます。さらに先生たちは、生徒からはもとより、地域でも一目置かれ、感謝、尊敬されて、精神的な満足を得られたからでした。
マンツーマン教育
現代でも学習塾の良し悪しは評判ですぐ分かるように、寺子屋も金儲け目当てに開いてもうまくいかなかったようです。生徒や親にはどの寺子屋に通うか選ぶ自由があり、寺子屋間には競争がありました。
子供達はひとりの先生から何年にもわたって学びます。 いろいろな年齢の子供達が一つの部屋で机を並べ、先生は生徒一人一人の成長の度合い、個性や能力をよく見、それに応じた指導をしました。理想的なマンツーマン教育だったわけです。
教科書にも工夫
教育にかける熱意の程は、当時の教科書にもうかがえます。江戸時代に作られた教科書は、現在残っているものだけで7千種類以上といいます。内容も、将来、商人、大工、農民になった時に必要な言葉や知識を教えるもの、地方特有の地理や産物、生活習慣を説いたものなど様々に工夫が凝らされたようです。
ユネスコも認める
また習字にしても、半紙はもう真っ黒なのに、まだその上に書く。新しく書いた字は光って判るから、それでも教え、習うことができたといいます。今、盛んに言われる“ 限りある資源の有効活用 ”は寺子屋でとっくに行われ、当時の子供たちはそれを目の当たりにし、実践していたわけです。

なおユネスコでは識字教育(読み書きを教える)の一環として、そんな寺子屋の良さにならったWorld TERAKOYA  Movement(世界寺子屋運動)を推進しているということです。
 
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