『漢書』外威伝には、後に漢の武帝に寵愛され李夫人となる美しい女性のことを詠んだ詩があり、そこから、「男が、その美しさに夢中になって都市や国をなげうつような女性」のことを「傾城」「傾国」と言いますが、楊貴妃はまさにこれに当たります。紀元前11世紀に滅んだとされる古代中国の殷(いん)王朝の滅亡の原因となった妲己(だつき)のように、美しくても腹黒い女性は「傾国」ではなく「毒婦」と呼ばれます。「毒婦」と呼ばれなかったのは楊貴妃の人徳のなすところなのでしょう。
文学や伝説の楊貴妃
楊貴妃は様々な詩や伝説などに描かれています。李白は楊貴妃の存命中に、その美しさを詩に詠みました。後世には白居易(はくきょい)の『長恨歌』をはじめ、多くの詩や伝説ができました。
日本における楊貴妃
日本でも楊貴妃について様々な作品ができました。能と日本舞踊にも『楊貴妃』という演目があり、渡辺龍策『楊貴妃後伝』、大佛次郎『楊貴妃』、井上靖『楊貴妃伝』など、楊貴妃を題材にした作品があります。
また、楊貴妃は安禄山の乱(安史の乱)の時に死んだのではなかったとする伝承もあり、それには「替え玉説」と「蘇生説」があります。「蘇生説」のうち、楊貴妃は蘇生して船で川を下り、日本へ渡ったという伝説に基づき、山口県長門市には楊貴妃の墓があります。このような伝説が生まれるのは「成吉思汗は源義経である」という伝説などと同様で、楊貴妃の死が惜しまれたことを意味するのでしょう。 |