江戸時代には松尾芭蕉(まつおばしょう)、井原西鶴(いはらさいかく)、大田南畝(おおたなんぽ:狂歌師戯作者。1749〜1823)をはじめ多くの人が訪れたとのこと。社頭には現在も露店がありますが、『夏祭…』住吉鳥居前の段で「並木の陰。新家の煮売り、髪結床」(松並木の陰に新家(しんけ:現在の大阪市住吉区東粉浜2, 3辺り。住吉大社の北500mくらい。料理店が多く、住吉参詣の人が立ち寄り、繁盛した。)の、飯と魚野菜などを煮てすぐ食べられるように売る店や男の髪を結い、髭(ひげ)月代(さかやき)などを剃(そ)る店がある)と語られているように当時もにぎわっていたようです。
大坂の昆布
同じく『夏祭…』住吉鳥居前の段で釣船三婦がお梶に「昆布屋で待つてゐるがよい」と言うくだりがありますが、江戸時代には北前船で蝦夷(北海道)や陸奥(青森)などから昆布が運ばれてきて大坂で加工されていました。大阪市中央区玉造に「青刻昆布発祥の地」の碑が建っています。「刻み昆布」とは、原料の昆布を煮てから細かく糸状に刻み、乾燥した食品で、野菜と煮たり、煮物の具にした |