くまどりん イヤホン解説余話
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「鳴神(なるかみ)」 巡業 中央コース 松竹大歌舞伎

 

インドのお話がルーツ
このお芝居の基になったのは「太平記」や「今昔物語」に取り上げられている一角仙人(いっかくせんにん)の説話で、能にもこれを下敷きにした「一角仙人」という演目があります。そもそもはインドで生まれたといわれるこのお話を太平記の記述に沿ってご紹介してみましょう。

坂道で滑った原因は…
メス鹿の腹から生まれ、額に一本の角を持つ一角仙人はさまざまな修行を積んだ末にハイレベルな能力を持つようになりました。
ある日、一角は谷へ下る坂道の途中で、足を滑らせて転んでしまいます。道は湿り、岩は苔むしてツルツルしていたのです。一角はムッとして「わしは何故ここで転んだのだろう?」と考えました。そして「雨が降って道が湿っているからだ」→「雨はいったい誰が降らせる?」→「雨を司る龍神が降らせる」と思いをめぐらし、ついには「自分が転んだのは龍神のせい」という結論に達します。やがて一角は地球上の七つの海を隅から隅まで捜索し、大小すべての龍神を捉えて岩の中に監禁してしまいました。

修行が足りない証拠

果たせるかな雨は一滴も降らなくなりましたが、そのせいで世界中が大干ばつに苦しみはじめます。
   一角仙人の能面

民の嘆きを聴いた大王は大臣たちを集めて、龍神を解放する手立てを協議しました。一人の大臣が「一角が龍神を閉じこめたのは自分が道に滑ったことからわいた“ 怒り ”からで、怒るのはまだまだ修行が足りないという証拠でしょう。してみると彼はまだ悟りの境地に至っていないと思われますから、女の色香に惹かれる可能性があります。そこを突いて彼の超能力を破り、龍神を解放してはどうでしょうか」と提案。大王はこの策を受け入れ、宮廷一の美女、扇陀女(せんだにょ)を一角のもとへ送りこみました。
後のお釈迦様
すると一角は、案の定、彼女に身も心も奪われ、本当に「タダの人」になってしまったのです。超能力はもちろん消え、体は生身の人間に戻り、たちまち病気になって死んでしまいました。扇陀女はそれを見届けると宮殿へ戻り、龍神たちは全て解放され、恵みの雨が再び世界を潤しました。
実はこの一角仙人こそお釈迦様の前世の姿であり、扇陀女も後にヤショダラとして生まれ変わり、出家する前のお釈迦様の妻になったということです。
動機は違えど
以上が太平記に載っている一角仙人のお話です。

『鳴神』の主人公、鳴神上人は朝廷に裏切られた腹いせに龍神を封じ込めてしまいました。滑って転んだだけの一角仙人とは怒る動機に雲泥の差があるようにみえますが、雨を止めて罪のない人々まで苦しめるのはやはり筋違いですね。
 
「新編西遊記(しんぺんさいゆうき) ―GO WEST!」 国立文楽劇場 第1部 親子劇場

文楽の孫悟空
文楽にはおサルの孫悟空(そんごくう)が大あばれする『五天竺(ごてんじく)』という劇があります。
天竺は今のインドです。インドはずっと昔は、東西南北、そして中という五つの地方にわかれていました。ですから五天竺はインドの国ぜんぶということです。
仏さまの教え
そのインドへ、今から1400年くらい前に、中国の玄奘三蔵(げんじょう・さんぞう)というお坊さんが旅をしました。中国にはインドの仏(ほとけ)さまという立派な人の教えが伝わっていました。でも、そのころはまだ、お坊さんが自分だけ勉強して仏さま

のようになる方法(むずかしく言うと小乗仏教、しょうじょうぶっきょう)しか伝わっていませんでした。

17年かかった旅
そこで中国の王さまは三蔵に、インドへ行って、たくさんの人が勉強する方法(大乗仏教、だいじょうぶっきょう)が書いてある教科書をもらってくるようにたのみました。   
こうして三蔵はインドへ行くことになりました。それはあぶないことがいっぱいある命がけの旅でした。今のように飛行機も電車も自動車もありません。行って帰ってくるのに17年もかかったそうです。
いろんなお話になって
この旅のようすはたくさんの人に、ず〜と長く伝えられ、その間にいろんなお話になりました。孫悟空がおともをしたという本当はなかったお話もくわわりました。おともは、はじめは孫悟空だけでしたが、だんだんカッパの沙悟浄(さごじょう)やブタの猪八戒(ちょはっかい)も仲間になりました。
そのいろいろなお話を、400年前に、呉承恩(ご・しょうおん)という人がまとめたのが「西遊記(さいゆうき)」という物語です。

文楽の孫悟空
 
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