伝説の後日譚
能の「道成寺」を下敷きにした『京鹿子娘道成寺』にはバリエーションが50ほどもあるといわれ、それらは「道成寺物」と呼ばれます。今回、歌舞伎座で上演される『京鹿子娘五人道成寺』はそのひとつで、五人で踊り分ける特別な演出。
能の道成寺は、清姫が、恋しい安珍が隠れた道成寺の鐘を蛇となって焼きとかしたという伝説の後日譚(ごじつだん、後のお話)、鐘が再建されると、清姫の怨霊が現われ、再び鐘を落としてしまうお話です。
能VS歌舞伎
歌舞伎では、元禄期に、「女形、水木辰之助が初めて鐘入りの所作をした」、「初めて謡を取り入れたのは榊山小四郎の『語り道成寺』」などと記録にあり、能の道成寺から想を得て演じられたことがわかります。
その評判は「大蛇、水操り、宙のりいろいろ仕候…」といったもの。能が後日譚なのに対し、歌舞伎は元々の伝説の劇的部分を拡大し、軽業的演出でスペクタクルな見せ場に仕組んだようです。武家の式楽とされた幽玄(ゆうげん)な能と庶民の娯楽、歌舞伎の違いですね。
道成寺の決定版
その後、廓の世界を取り入れた「傾城道成寺」など、歌舞伎独自の作品も生まれました。やがて初代中村富十郎が宝暦三年(1753)に『京鹿子…』を初演すると、以後はこれが歌舞伎の道成寺物の決定版となり、今に続いています。
近代精神に洗われて
ただこの『京鹿子…』にしても、あくまで想像ですが、はじめは、特に女形舞踊の全盛期には、女形のありとあらゆる美しさ、姿かたちをショー的に見せることを主眼にしたと思われるのです。 |