辺境の民
その昔、都から遠い東北地方の、中央政権の支配が及ばぬ土着の民は「蝦夷(えみし)」と蔑まれ、平安初期、朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に立て、これを征服。服従した蝦夷は、今度は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれました。
12年に及ぶ「前九年の役」
俘囚のうち有力な一族は、朝廷へ特産物を貢ぐことなどを条件に、俘囚の長として一定の支配権を持つことを許され、奥州の安倍氏、出羽の清原氏などがこれにあたりました。
その俘囚長だった安倍頼時は支配地域を拡げようとし、また納税しないなど反抗的だったため、朝廷は、1051年、源頼義を鎮守府将軍に立て、彼らを攻めはじめます。それから安倍一族が滅ぶまで12年に及んだ戦が「前九年の役」です。
伝説をアレンジ
『奥州・・・』は近松半二らによる合作で、この「前九年の役」の後日物語です。四段目『一つ家の段』は頼時の未亡人、岩手が、天皇の弟である環(たまき)の宮を誘拐し、宮をシンボルに据えて安倍氏を再興せんとするお話。このくだりは安達ヶ原(福島県二本松市)に伝わる「一ツ家伝説」が下敷きにされていて、その伝説は次のようです。
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