くまどりん イヤホン解説余話
Facebook Twitter
 
「神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)」 歌舞伎座 昼の部

どんつく
この舞踊は参詣人で賑わう江戸の亀戸天神を舞台に太神楽(だいかぐら)の親方とその道具持ちの下男の様子を中心に描き、通称を『どんつく』といいます。当時、のろまでドジな人物を「鈍付く野郎」と呼んだようで、そこから下男のあだ名は“どんつく”。また太神楽曲芸のひとつ、籠(かご)と毬(まり)を操る「花籠毬の曲」も別名“どんつく”です。

下男、どんつくのひょうひょうとした味わいの踊りと親方(つまりこれに扮した俳優)が花籠毬の曲、どんつくを実際にやって見せるのがこの舞踊の見所です。

日本のジャグリング

一昔前、TV等でよく海老一(えびいち)染之助が傘の上でマリなどを廻し、兄の染太郎が「いつもよりたくさん廻しておりま〜〜す」とやっていましたね。染太郎さんは2002年に亡くなり、このフレーズはもう聞けなくなってしまいましたが、あれも太神楽のひとつです。太神楽は四百数十年の歴史を持ついわば日本のジャグリングで、今は寄席でよく見られますが、そもそもは街頭で披露される大道芸でした。
獅子舞の余興

「花籠毬の曲」の華やかに飾った籠と毬
 

太神楽のルーツはその名の通り、神に奉納する神楽です。神楽には宮中で行われる御神楽(みかぐら)と民間に広まった里神楽があり、里神楽のひとつに獅子神楽があります。これは伊勢神宮のお膝元の伊勢や熱田神宮がある尾張で始まったといわれ、獅子の霊力で悪魔を祓い、健康と長寿を祈って舞うものです。やがて獅子神楽は両神宮の御師(おし、下級神官)や祈祷師が諸国を廻ってお札を配ったり、お祓いをしたりするのに同行。そのうち余興に曲芸や茶番(ちゃばん、コント)などを見せるようになりました。
今も普段の寄席では曲芸中心の太神楽がお正月には獅子舞を舞い、元来の姿を見せます。
大陸伝来のバラエティが源
また、その曲芸や茶番の源は奈良時代に大陸から伝来した伎楽(ぎがく)や散楽(さんがく)なのだそうです。これらは滑稽芸や物真似、歌、踊り、曲芸、マジックなどを見せる一種のバラエティショウで、後に猿楽(さるがく)や田楽(でんがく)に変化。さらにそのなかの演劇的分野を世阿弥が「能楽」として確立し、曲芸やマジックのたぐいは独立して「放下(ほうか、禅語で「放ちきって無我の境地に至る」こと)」とも呼ばれるようになりました。この曲芸などが前述の獅子神楽と結びついたのが太神楽というわけです。
胸がドビンドビン
太神楽は江戸時代前期には江戸の街にかなり広まっていたとの記録があり、やがて浮世絵や絵本に、さらに歌舞伎では『どんつく』の他、『神楽獅子』、『鞍馬獅子』、『太神楽』などに取り上げられるといった具合で、その人気の程がうかがえます。
江戸の太神楽は「伊勢派」と「熱田派」に大別され、江戸後期に寄席が出現すると、主に熱田派は寄席へ進出。その熱田派の代表的屋号は丸一(まるいち)で、今の太神楽曲芸協会会長、鏡味(かがみ)仙三郎の屋号も丸一です。

ところで、この仙三郎さんのオハコは口に咥えたバチの上で陶製のツルリとした土瓶(どびん、急須)を廻したり、ジャンプさせたり、手を使わずにフタを外したりする「土瓶の曲」です。終えると「これをやる度に胸がドビンドビンします」と笑わせる仙三郎さん。そんな“ しゃべり ”やパートナーとの“ 掛合い ”も太神楽の芸の内なのだそうです。
 
閉じる