声聞師の本拠地は京でしたが、1593年に豊臣秀吉が彼らを、荒地を開墾させるため、尾張(今の愛知県西部)へ強制移住させました。
秀吉の死後、一部は京へ戻りましたが、多くは尾張にとどまり、なかには東隣の三河へ移った者もいて、その人々が「尾張萬歳」や「三河萬歳」の祖となりました。
さらにこれらは各地へ伝わり、尾張系の「伊予萬歳」、三河系の「会津萬歳」、「秋田萬歳」、また尾張、三河とは系統が異なる「越前萬歳」や、その系譜を引く「加賀萬歳」などが生まれます。
三河を優遇
江戸時代には、彼ら萬歳師は全国の陰陽師を支配、管理した土御門(つちみかど)家の免状を持って、全国を廻りました。三河萬歳は、徳川家康が三河出身であることから、優遇され、彼らだけは武士のように刀を携え、大紋(だいもん、武士の礼装)を着ることを許されたといいます。 |