くまどりん イヤホン解説余話
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「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」 松竹大歌舞伎 巡業

はかない境遇を
日本人は満開の桜を、やがていさぎよく散るはかなさをも想い、愛(め)でてきました。
源義経は源平の合戦で輝かしい戦功をあげるも、やがて兄の頼朝から疎まれて・・・。このお芝居は義経が都を追われてから、漂泊の途中、「一目千本」と謳われる桜花爛漫の吉野山に、ひと時、身を置いたところまでを描いています。『義経・・・』のタイトルはその義経の境遇を桜に重ねているともいえましょう。
いずれも盛者必衰
ただこのお芝居、義経はむしろ狂言廻し的役割で、中心は源平合戦で敗れ、没したはずの知盛(とももり)、維盛(これもり)、教経(のりつね)ら、三人の平家方の英雄が実は生きていて・・・というお話。彼らの運命も平家物語にいう「盛者必衰(じょうしゃひっすい、勢いあるものは必ず衰える)」であり、義経や桜に相通じますね。
平維盛が下男に
『木の実』、『小金吾討死』、そして今回上演される『すし屋』と続く場は、その三人の内、維盛にまつわるくだりで、彼は、吉野の下市村にあるすし屋で下男の弥助となって、身を潜めています。すし屋の倅(せがれ)権太は、素行の悪さから勘当されていますが、弥助が維盛に違いないとつきとめて・・・。
すし桶もからむ

さて、吉野には古くから「釣瓶(つるべ)すし」という名物があります。これは吉野川で獲れたアユを桶(おけ)に詰めて、すしにしたもので、その桶の形が井戸の釣瓶(水を汲むために吊られた器)に似ていることから、こう名付けられました。お芝居のすし屋もこの釣瓶すしを作っていて、桶が舞台に出て来るばかりか、お芝居の展開にかかわる小道具にされています。

乳酸発行させて
すしは、古くは「なれずし」といって、主にアユ、フナなどを塩と御飯とともに、数ヶ月~数年、漬け込んで作りました。こうすると乳酸発行して腐ることがなく、アミノ酸などのうまみ成分が増すといいます。平安の頃から作られていたそうで、冷蔵庫などなかった時代の、動物性たんぱく質を保存する知恵だったのですね。今も琵琶湖畔ではこうして作られる「鮒(ふな)ずし」が名物です。強烈な臭いがするので受け付けない人もいるようですが、お酒の肴やお茶漬けにすると実に美味しいといいます。この「なれずし」が、やがて魚と酢飯を単純に合体させる寿司や鮨になりました。
早い慣れとぞ・・・
お芝居では、すし屋の娘で権太の妹のお里は、弥助に惚れ、二人は間もなく夫婦になろうというのですが、お里が早くも女房気取りで弥助に接するシーンで、伴奏の浄瑠璃は「さすが、すし屋の娘とて、早い“ 慣れ ”とぞ見えにける」と語ります。この“ 慣れ ”はもちろん「なれずし」に掛けているのです。
ゆかりの老舗
吉野の釣瓶すしは室町時代からあったらしいのですが、広く知れ渡るようになったのは、この『義経・・・』で取り上げられてからといい、今も下市町にはお芝居ゆかりの老舗(しにせ)だという「つるべすし 弥助」があります。

 
「つるべすし 弥助」のたたずまい
吉野、下市町
 
 

「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」 国立文楽劇場 第一部

重ねて四つに
近松門左衛門が、大坂の高麗橋で実際にあった「妻敵討(めがたきうち、女敵討とも)」を下敷きにして、妻の不倫、姦通(かんつう)をテーマに書いたのが『鑓の権三・・・』です。
妻敵討は他の男と情を通じた、平たく言えば「出来てしまった」妻やその相手を討つという敵討の一種です。夫は、現場を見つけたら、重ねて四つにしても、逃げたら追いかけて討ち果たしても良いというもので、室町時代の書物に、すでに「妻敵」という言葉が出てくるそうです。
名誉のため、道徳のため?
江戸時代には「妻敵を討たないでは家は立ち難い」と唱え、制度として設けた、つまり法的に認めた藩もあったくらいですから、当時の人々にはよく知られたものだったのでしょう。
徳川幕府は、かえって家の恥をさらす不名誉なこと、とはじめは反対したようですが、やがて認め、幕末にはその記録があるといいます。妻敵討を、名誉の問題というより、夫婦や家のまっとうなありかた、倫理や道徳が乱れるのを防ぐものと考えるようになったからではないでしょうか。
お金で解決 

武士はもちろん町人の間でも行われたようですが、幕府の当初の考え同様、恥さらしな馬鹿らしい行為という見方もされ、町人は次第にお金で解決する風潮になったとか。京阪では5両、江戸では7両2分という相場まであったようで、当時の川柳は「生けておく奴ではないと五両とり」と茶化しています。

互いに思惑が
『鑓の権三・・・』は妻敵討される二人、おさゐと権三が主人公です。おさゐは娘の婿に権三を迎えたかった。一方の権三は茶の湯の奥義(おうぎ、究極の技)を知りたくて茶の湯の宗匠の妻、おさゐに近づきました。しかし彼らは、実際は、不義密通をしたわけではありません。
無実でも
ところが両人は、弁解するのが難しい状況だったとはいえ、甘んじて、というよりむしろ積極的に討たれようとするのです。
二人がそう決心した訳はいろいろ解釈できると思いますが、お芝居をごらんになって、皆様はどう受け取られるでしょうか。
油壺から出た様な・・・
ところで近松は権三を「鑓の権三は伊達者でござる、油壺から出た様な男、しんとんとろりと見とれる男・・・」と描いています。彼は美男で槍(やり)の名手、その上茶の湯にも秀で、一見、非の打ちどころがありません。
総じて妻敵になろうというような男はたいていそんな好男子で、逆に、討つ側は醜男(ぶおとこ)というのが通り相場だったよう。「女敵は打つ方が憎体(にくてい)のつら」と川柳にもあるほどです。

現代の高麗橋(大阪市中央区)

近松がモデルにした妻敵討が起きた現場
 
 
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