重ねて四つに
近松門左衛門が、大坂の高麗橋で実際にあった「妻敵討(めがたきうち、女敵討とも)」を下敷きにして、妻の不倫、姦通(かんつう)をテーマに書いたのが『鑓の権三・・・』です。
妻敵討は他の男と情を通じた、平たく言えば「出来てしまった」妻やその相手を討つという敵討の一種です。夫は、現場を見つけたら、重ねて四つにしても、逃げたら追いかけて討ち果たしても良いというもので、室町時代の書物に、すでに「妻敵」という言葉が出てくるそうです。
名誉のため、道徳のため?
江戸時代には「妻敵を討たないでは家は立ち難い」と唱え、制度として設けた、つまり法的に認めた藩もあったくらいですから、当時の人々にはよく知られたものだったのでしょう。
徳川幕府は、かえって家の恥をさらす不名誉なこと、とはじめは反対したようですが、やがて認め、幕末にはその記録があるといいます。妻敵討を、名誉の問題というより、夫婦や家のまっとうなありかた、倫理や道徳が乱れるのを防ぐものと考えるようになったからではないでしょうか。
お金で解決
武士はもちろん町人の間でも行われたようですが、幕府の当初の考え同様、恥さらしな馬鹿らしい行為という見方もされ、町人は次第にお金で解決する風潮になったとか。京阪では5両、江戸では7両2分という相場まであったようで、当時の川柳は「生けておく奴ではないと五両とり」と茶化しています。 |