くまどりん イヤホン解説余話
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「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」 歌舞伎座 第三部

バックは忠臣蔵
『四谷怪談』などで知られる鶴屋南北が創ったこのお芝居は『忠臣蔵』のキャラクターである塩冶浪人、不破数右衛門(ふわかずえもん)が主人公です。彼は薩摩源五兵衛(さつまげんごべえ)と名を変えて金策をするうち、芸者の小万(こまん)の色香にハマって、入れ上げるのですが、彼女には笹野屋三五郎という亭主がいました。
南北ならではの
小万と三五郎夫婦はグルになって源五兵衛から百両の大金を騙し取ります。源五兵衛は裏切られた怒りから殺人鬼と化すも、やがては元の不破数右衛門として、晴れて討ち入りをするというお話。この結末には作者、南北らしい武士社会に対する皮肉が込められているといわれますし、五人斬りの凄惨な殺し場や小万の生首を据え、その前で源五兵衛が食事をするという異様なシーンも南北ならではの世界でしょう。

五大力菩薩から
『盟…』は『忠臣蔵』の世界を背景にしているとともに「五大力(ごだいりき)」という風習を趣向に据えた「五大力物」と呼ばれるお芝居のひとつでもあります。

五大力とは、そもそも仏教で、仏・法・僧の三宝と国土を護るという大力を持つ5人の菩薩(ぼさつ)を指すのですが、この五大力菩薩が道祖神(どうそじん、村の守り神、子孫繁栄、旅や交通安全の神)信仰と結びつき、いつしか手紙の封じ目に「五大力」と記せばその力で手紙が無事に届くと考えられるようになりました。江戸時代には、主に女性が手紙を出すとき、相手に間違いなく届くようにと願って、封じ目に「五大力」と書いたといいます。今の「親展」に近いのですが、どちらかと言えば、お呪(まじな)いのようなものだったようです。

貞操の証
信心深かった江戸時代の人々はこの“ 五大力 ”をさらに別の意味に発展させました。女性がこの「五大力」を愛する男性への貞操の証(あかし)としました。「この人一筋に」と思う男がいる女性が自分の櫛(くし)や簪(かんざし)、煙管(きせる)、三味線などの身の回り品に「五大力」と彫ったり、書いたりするようになったのです。ちょうど「○○様命」と同じ感覚でしょう。

醍醐寺・五大力尊のお札
 

五大力~三五大切
『盟…』では、小万は源五兵衛への愛の証として「五大力」の入れ墨を腕に彫ったのですが、小万と三五郎夫婦が源五兵衛から金を巻き上げるのに成功すると、亭主はその入れ墨の頭に「三」を、「力」に土扁を彫り足し「三五大切」=三五郎が大切、と変えてしまいます。つまり小万がはじめに彫った「五大力」は源五兵衛を騙すための偽りの誓だったのです。
こんな使い方はもちろんおすすめしませんが、“ 生涯の伴侶 ”に巡り合えた幸せな女性の方は、携帯電話に「五大力」なんていうのはいかがでしょうか。

 
「日本振袖始(にほんふりそではじめ)」 国立文楽劇場 第三部

振袖のルーツ

『日本・・・』は近松門左衛門が神話を基にして人形浄瑠璃のために創ったお芝居です。このお芝居のなかに、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高熱に苦しむ稲田姫(いなだひめ)を、着物のワキの下を切り開いて熱を発散させ、鎮めるくだりがあり、それこそが着物の身ごろのワキを明けた、いわゆる身八つ口(みやつくち)を持つ「振袖」の始まりである、と説かれていることから、このタイトルがつけられたようです。

頭も尾も八つ

今回上演されるのは、長~いお芝居のうち、素盞鳴尊が出雲の国で頭と尾がそれぞれ八つある大蛇、ヤマタノオロチを退治するくだりです。大蛇は岩長姫という人間の女に化け、この世の美女を根絶やしにしようと素盞鳴の恋人、稲田姫を狙いますが、これに素盞鳴は八つの瓶(かめ)に毒酒を満たして待ちかまえます。

氾濫する川のたとえ 

さてこのお芝居の元にされた神話のヤマタノオロチは出雲地方を流れる斐伊(ひい)川を象徴しているともいわれます。斐伊川は、その昔、たびたび氾濫して人々を大いに悩ませたそうですし、平野に出るといく筋もの支流に分かれるところがヤマタノオロチの頭や尾を思わせ、また水が引いた後に蛇のウロコのような「鱗状砂州(りんじょうさす)」が現れたこともヤマタノオロチをイメージさせたのでしょう。さらに稲田姫は大水で没した「稲作」を、また大蛇が退治されたのは、治水事業がなされ、氾濫がなくなったことを表すともいわれています。
石見神楽(島根県)の「八岐大蛇(やまたのおろち)」

尾から太刀が  
神話はさらに、スサノオが退治した大蛇を十握剣(とつかのつるぎ)で切り刻んでいると、尾のあたりで剣の刃が欠けた。そこで尾を切り裂いてみると中から太刀が出てきたので、スサノオはその太刀をアマテラス(天皇家の先祖)に献上した、と続きます。その太刀は後に天皇家の宝、三種の神器(じんぎ)のひとつになる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=後の草薙剣(くさなぎのつるぎ)だとされています。
テクノ先進国

当時、出雲では、斐伊川上流の砂鉄を原料にして鉄がつくられていたといわれ、大蛇の尾から出た太刀はその技術で造られた鉄剣だった。これに対し、スサノオの十握剣は青銅製だったから欠けてしまった。また太刀がアマテラスに献上されたのは、中央の大和勢力が技術先進国だった出雲を掌握したことの象徴、と見るむきもあるようです。
 
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